2014年4月8日火曜日

リテラシー


こんにちは。経営学科の関口和代です。
今回はリテラシーについて書きたいと思います。

リテラシーとは簡単にいうと読み書きの能力のことですが、
近年、さまざまな語と結びつけて使われることが多くなっています。
大学でも、情報を使いこなす能力としての
「情報リテラシー」を高める講義等が準備されていますし、
さまざまな能力を向上するためのサポート体制として
「学習センター」が設置されています。


http://www.tku.ac.jp/student_support/gakushu/bp/

今回は、そのようなリテラシーの中でも、
メディア・リテラシーを中心に取り上げます。
昨年来、メディアの特性を無視した使い方により、
不利益を被る事象が多いと感じたからです。
たとえば、アルバイト先の飲食店やコンビニエンスストア、
あるいはアミューズメント施設等で、

犯罪行為ないしはそれに近い行為、他者に不快感を与える行為をし、
それをソーシャル・メディア(個人が情報発信を行うメディア)を
通じて発信することによって、
飲食店・コンビニエンスストア等に多大な損害を与え、
発信者自身も(社会的)制裁を受ける事案が多発しました。
また、有名人・著名人の来店情報や宿泊情報等を
ソーシャル・メディア上で発信したことにより、
本人だけでなく企業等も強い批判を受ける事案もありました。


発信者にとっては、仲間内の悪ふざけやプチ自慢、
何の気なしの投稿だったのかもしれませんが、
自分だけでなく他方面に影響を与えるということに対する
理解力が不足していると言わざるをえません。
情報化の進展を受け簡単に情報発信できる環境となっている今日、
私たちはさまざまなメディアを適切に活用する能力、
リテラシーが必要になっています。



メディア・リテラシー
欧米諸国では、誰かを通して語られた「事実」を鵜呑みにすることの危険性を
認識し、メディア・リテラシーを高める教育が行われています。
メディア・リテラシーとは、メディアが送り出した情報を、
その特性や社会的な背景などを踏まえ、批判的に理解し判断していく能力
そして、社会に向けて効果的にコミュニケーションをはかることで
メディア社会と積極的に付き合うための総合的な能力をさします。

ここでいう批判的とは、否定的に批判するということではなく、
適切な基準や根拠に基づく、論理的で偏りのない」という点での
建設的な批判を指します(菅谷明子「メディア・リテラシー」岩波書店,2000年)。

テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネットなどのメディアからの情報を、
「中立・公平」、「客観的」で「正確な」事実であると思い込み、
無批判に受け入れる傾向が強まっている気がします。
逆に、揚げ足を取るばかりで議論が深まらない、
短い刺激的なフレーズの応酬によって真意にたどりつけないという
傾向もあるように思います。

どのような出来事も、記者、ニュース・キャスター、
リポーターそして当事者などの、各々の考え捉え方え方をもとに、
ある「意図」をもって取捨選択され、
「構成」され、「情報」として発信されます。


会社員時代、報告書や会議での発言に対して、
上司から「ほんまにそうなんか」と
繰り返し厳しく問い質されました。
腹が立ったこともありましたが、
ステレオタイプなモノの見方を戒め、
論拠を明らかにすることを

意識づけていただいたと感謝しています。

さまざまな「情報」が氾濫する今日、
「ほんまにそうなんか」と自問自答する姿勢が求められています。
大学の講義や演習でも、
教員が話したことを漠然と聞くのではなく、
上述したようなことを踏まえて、自分で納得するまで考え、
ディスカッションをしてほしいと思います。


ゼミ活動でリテラシーを高める

教員の言うことも、全部とはいいませんが、

意図や思いが入っています。
講義で発信された情報の意図、

情報の取捨選択の基準と構成を把握し、
自分自身でそれを整理・検討し、

他者とディスカッションする、
その過程を経てはじめて、

自分のものとすることができると思います。

2年次からスタートするゼミ活動ですが、
ゼミ選考もほぼ終わり、

いよいよ今週から新たにスタートします。
ゼミでは、上述したようなトレーニングが
繰り返し行われることになります。


メディア・リテラシーをはじめとしたリテラシーは、
社会に出て、さらに必要とされるスキルでもあります。
ゼミ履修は必修ではありませんが、
リテラシーを高めことのできるゼミ活動には
是非積極的に参加してほしいと思います。


新年度を迎え、前向きな気持ちになっている方が
多いことと思います。
上述したようなことも念頭に
学習されることを
期待しています。



文責:関口和代(経営学部教授)